
八幡神社の入口
目的は野原古墳群

八幡神社と野原古墳群の案内板
八幡神社の境内の様子

八幡神社の境内にある桜

八幡神社の本殿
野原古墳群ってどこなの?

野原古墳群はこの先?
切り開いていく勇気が湧かないですし、なんか地面がやっこいんですよね。沈んでぐの。正直、怖い。
踊る埴輪が見つかった場所でもありますので、見ておきたかったのですが、うん。別に遠い距離でもないので、次回にしましょう。今回は大沼公園の周辺案内図であったから、来てみた。位の気持ちで情報収集が足りていなったので、次回までに勉強しておきましょう。
また東京に持っていかれたのか
東京ってやつは、地方から人を奪うは、ロイヤリティーで金を取るは、美術品も奪うわで、ろくなもんじゃないですね。最近は、そんな東京も高齢者が増えてきていて、労働者として役に立たないから地方に移住してくれたら、お金を上げる。とかの話が出ているのですが、労働として期待出来ない老人とかを送り込むとか、どんな嫌がらせだよ?と思う訳です。
こちらで出土した踊る埴輪についても、ちゃっかりと東京の美術館に飾られています。
同好の士のサイトをいくつか見てみました。
半信半疑で、要するに良く分からない。と言う人が多いですね。
こちらのサイトでは、これが古墳だよ。と言う感じで写真付きで紹介をしてくれているのですが、え?そうなの?と言うレベルですね。さきたま古墳群みたいな感じで、ザ・古墳。と言う雰囲気は皆無ですし現場に行っても、雰囲気は若干感じたのですが、私には特定困難でした。
古墳と言ったら、行田市が有名なのですが、あそこは失われた世紀で予想はされていたのだけれども、それを裏付け資料がないよなー。と歴史学会で言われていたのが、鉄剣に刻まれていて、一気に国宝指定をされて、それが見つかった。と言う事で有名になりましたね。古墳も勿論多めではあるのですが、古墳限定で言えば、埼玉の県北周辺には幾らでもあります。
日本の歴史って、この辺りの時代が良く分かっていないんですよね。卑弥呼が登場をしてから、その後、良く分かっていない感じが続いて、間違いない。蘇我馬子はいた。と言う感じで、この間、300年間位が何となくフワッとした時代なんですよね。
応神天皇はいたのが濃厚。とか言われているのですが、倭の五王と言われている、讃、珍、済、興、武、この辺りは、どの天皇を指しているのか?それとも違うのかな?この辺りもはっきりとしていないんですよね。
個人的には大和朝廷の基盤は関西であったんだろうけれども、それとは別の東国と言うのが、大和朝廷とは別に存在をしていた。と思うんですけど、良く分からないですね。
コメントを残す