講談社学習まんが 北条義時 歴史を変えた人物伝

講談社学習まんが 北条義時 歴史を変えた人物伝
講談社学習まんが 北条義時 歴史を変えた人物伝

小学生から楽しめる、大人が読んでも新発見 講談社学習まんが「歴史を変えた人物伝」最新作 大河ドラマで話題沸騰 武家政権を確立させた男「北条義時」の熱い生き様を描く!

吾妻鏡と愚管抄の間に揺れるも良作認定

北条義時をメインに据えている学習漫画については以下のページにて2作品を紹介しています。そちらはそちらで、まーまーでしたが、後出しじゃんけんとなるだけに、やはり今作が一番ですかね。

ただ、どの作品にも言える事になるのですが、確か本郷さんの書籍だったと思いますが、初代執権として北条時政の名前が上がりますが、これ、吾妻鏡にも書かれていなかった。と言う事が書かれていた記憶があるんですよね。

将軍の下に問注所・侍所・政所の三つがあり、そのトップがそれぞれいるのですが、和田を倒して義時が政所と侍所を兼任するようになってから、執権と呼ばれるようになった説があったはずです。もううろ覚えで申し訳ないのですが、とりあえず、ザックリと言えば、問注所は裁判。政所は政治。侍所は軍事。つまり、政治と軍事のトップに立っている状態なのでえ、最早無双状態になって、初めて執権と言う呼称が産まれた。と言う感じです。

また、本書の中では、実朝暗殺のシーンでは愚管抄を優先して、実朝に命令をされて義時が外で待っていて、難を逃れた。となっているのですが、吾妻鏡では義時が体調不良を訴えて、現場を事前に離脱した事になっています。義時の代わりの代打となった義仲が実朝と一緒に殺されていて、殺した頼家の子供。公暁としては、初めから義時も殺すつもり満々だったらしいのですが、それを回避された訳ですね。ちなみに吾妻鏡は北条家に都合の良い形で編集をされていて、愚管抄は慈円と言う坊さんが書いた書籍になります。愚管抄の方は慈円が聞いた話をベースにしていますね。有名な話ですが、吾妻鏡では、頼朝が死んだシーンは描かれていなくて、亡くなってから、大分時間が経過をしてから、あそこは頼朝公がなくなった原因となった(落馬)不吉な橋だからなー。と言う事が唐突に登場をして、あれ?頼朝死んでたな。と言う感じになります。

あとは、承久の乱ですよね。北条政子が演説を御家人の前で。と言うのは有名ですが、これは本当は?でね。違う人が北条政子の言葉として、御家人の前で話をしているだけで、本当に北条政子の言葉なのかも、ちょっと不明。

北条政子については個人的には好きではなくて、家の為に自分の長男を殺したも同然ですからね。そう言う事をするから、結果として次男がよりによって長男の息子に殺されるんだよ。と言う、まー、結果論になりますが、因果応報ですな。

漫画の表紙には髭無しの小僧が描かれていますが、中では年を取るときちんと髭を生やしています。これ、当時の状況を考えると当たり前の話なのに、髭があるのがいやーだー。みたいな空気に負けて、髭をなかった事にする。とか言語道断だよね。

ちなみに、俺たちのの比企一族も、それなりに登場をしています。その点が個人的にはは好感を持てましたね。大河ドラマでは、佐藤二朗が演じている事によって、もう間抜けな役どころとして扱われるのが確定を自分の中ではしているのですが、本当は北条との政争でも勝ち確定(将軍、頼家とガッツリと北条討伐が確定していた説)となって、最後に顔を見てやるか?となってノコノコと出向いたら、殺されちゃった。となります。それを見ていて日記か何かに記して、後に西国も支配下に置いた鎌倉幕府が派遣をする事になったのが正代家で、現在の小代関のご先祖様になります。うっちゃりで比企を助けてやれば良かったのにね。最近、元気がなくてあまり勝てていないらしいのですが、まー、頑張って。

ちなみに。監修は山本みなみ、漫画は神宮寺一になります。

関連ページ

事前に出版をされていた北条義時の本について紹介をしているページになります。
姉妹サイトの読書感想文で取り上げ書籍になります。全国的に販売をされている書籍ではないので、Amazonでは取り扱っていません。東松山の丸広の郷土コーナーに行けば、確か売られていたはず。

甦る比企一族については、中々興味深い事が書かれていました。東松山周辺。まー、比企郡と言う扱いになりますが、鎌倉と同じ知名がいくつかあるみたいです。これは比企一族が鎌倉に居を構えて、ここって、あそこに似ているよね。と言う事で鎌倉に比企郡の名前を付けたケースもあれば、逆に比企郡に戻った時に、ここって鎌倉のあそこに似ているよね?と言う事で名前を付けたケース。両方ともあるみたいで、どちらが先?とか、そうしたのは良く分かっていません。

また、奥州藤原を潰した後に、関東武士が報奨として、東北に土地を貰っていますが、例えば葛西とか今で言えば、都内になりますが、そうした一族が東北に土地を貰って、今日からここの土地の名前は葛西な。と言う事で、東北の地名には関東の地名が多いのは、そうした理由からみたいです。この辺りは、上の書籍ではなく、確か本郷先生の書籍に書かれていた内容だと思います。

読んでみようぜ!

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ちょっと高い飲食店のおばちゃんに、「あたなは大器晩成。50過ぎてから成功する!」と言われました。だから、今は凄く頑張ってもロックが掛かっていて、そのせいで、突き抜けられない。と自分に言い聞かせています。写真はジャワ原人ですが、目が二つで、耳があって口があるので、大体こんな感じです。笑うとオダギリジョーに少し似ていると言われました。イケメン説が浮上しています。