
妻沼聖天山様の一番良いアングル
聖天様と地元の方には呼ばれて親しまれている。と言う事ですが、実際に、この後に行った荻野吟子記念館の方も、聖天様と言っていましたね。「埼玉日光」なんて呼ばれても居たりして、最近では結婚式などで利用をしている人も多いみたいです。
本尊として祀られているのは『御正躰錫杖頭』となりますが、読み方は、『みしょうたいしゃくじょうとう』です。かれこれ最後にご開帳をされてから20年程度は経過をしているみたいで、地元の人達は、そろそろご開帳をしてくれないだろうか?と期待をしているみたいですが、真言宗の方でも色々と都合があるみたいで、今の時点では予定も特にない。と言う事です。
実は国宝に認定をされたのも、平成24年(2012年)となっていて、割と最近ですね。まだ、この埼玉県唯一の建造物での国宝の事を知らない人も多いと思います。
妻沼聖天山の拝観料金は結構高いぞ!
拝観料は700円です。これを高いと思うか安いと思うかは、その人次第ですが、ちょっとした工夫で、それ位の金額は妥当、もしくは安いと思えるのが無料のボランティアでガイドをしてくれるか人の話を聞くかどうか?だと思います。
たまたま、私が行った時間ではガイドさんがちょうど空いていたみたいですが、概ね2時とか3時とか、そうした区切りの良い時間帯からスタートをするみたいです。
はっきりと言えば、歩く距離で言えば100メートルあるかないか?位の距離になります。眺めながらゆっくりと歩いてしまうと5分で終わります。5分で終わって700円かかる。となると、高い。と思うのは多分私だけではないと思います。
そこにガイドさんを付ける事で、時間的には40分ほどになります。何故こんなに長くなるのか?と言いますと、一枚一枚の絵の解説をしてくれるからですね。このガイドさんの説明を聞きながら見て行けば、700円というのがむしろ安いと思える位になります。
何となく凄い絵だな。とか、豪華だな。と思いながら眺めて終わるのと、しっかりと説明を聞いて、へー!と思いながら見るのとでは見終わった後の充実感が違います。まだ見ていない人、すでに見たけど、ガイドさんを付けずに終わった人、是非ともガイドさんを付けてまわって見て頂きたいです。詳細な部分まで説明をしてくれますので、何故こうした作りになっているのか?この絵が何を意味しているのか?そうした点までしっかりと解説をしてくれていますので、満足感に格段に違いが出ます。
ちなみに、サイトで調べたら10時から16時までガイドは行われており、やはり1時間おきでした。ちなみに公開は9時30分から16時30分(受付は16時まで)となります、また名物となっている、いなり寿司を近くのお店でも販売をしているのですが、午後の早い時間帯には売り切れてしまうので、そちらも込みでせっかくなので楽しみたい人は午前中のうちに来場をした方が良いと思います。
ちなみに、小学生以下は無料となります。
ガイドさんに説明をして貰って分かった事で、面白かった物

偉人が揃って、これ酸っぱいわ!とやっているシーン

囲碁の盤面
だからと行って、てきとうに色を塗るわけにはいかず、たまたま居た囲碁に詳しい人が居たので、その人に相談をした所、そこから囲碁協会へと話がうつり、妻沼の近くの熊谷出身の熊谷本碩と言う天才棋士がいたらしく、その方と本因坊道策の一戦を模した並びになっているとの事です。
左が本因坊道策で、右が熊谷本碩となっていて、熊谷本碩が勝利した、囲碁界では伝説の一戦となっている譜面らしいです。
合っているのかどうか、詳しくはないので分からないのですが、動画が置いてありましたので、下に設置をしておきます。
また、写真を撮ってこなかったのですが、目線で見れる事が出来る絵の中の子供達が皆遊んでおり、その絵の世界での目線をしているのですが、最後の絵だけ、見ているこちら側を向いています。
これについては、作成をした意図などを示す資料が残っておらず、一説として、それまで子供達が遊んでいた遊びはほとんど中国発祥のものとなっていて、最後の遊びの絵だけが相撲となっていて、日本発祥の遊びとなっており、それを示している。と言う考え方があるみたいです。
ただ、これは全くの個人的な感想になるのですが、自分には『お疲れ様でした。これで、もうお終いです。お気を付けてお帰り下さい。』と言っている様に思えました。この辺りは、しっかりとした確証がない分、個人個人が自分の中での想像を存分に働かせて良い場所になると思いますので、皆さんも、それぞれが見た印象を想像するのは自由だと思います。
妻沼聖天山の始まり
日本三大聖天の一つとなった妻沼聖天山ですが、元々は斎藤実盛が、守り本尊の大聖歓喜天を祀る聖天宮として建立をし、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。
斎藤実盛って誰?と言う人が大半だと思いますが、『平家物語』に登場をする武将となりまして、源平の争いの際には最初は源氏だったのですが、後に平氏に仕えて、最後は戦いの中で討ち死にしたとされています。
出身はどうも元々は東北出身だったみたいです。最後に戦いで敗れた場所は石川県となっていて、こちらの妻沼聖天山の敷地内にも銅像が建っているのですが、石川県の多太神社にも銅像が建っています。
これは、斎藤実盛を破った武将が源義仲の武将、手塚光盛に討ち取られた事で、戦勝祈願のお礼と実盛の供養をする為に、多太神社に兜を奉納した事が由来になります。埼玉県と石川県では随分離れているので、何だか不思議な感じがしますね。
随分と時間が離れてしまっているので、どこまで本当なのか?と言う事では不明な点も多々あるのですが、この斎藤実盛を打ち倒した手塚光盛の子孫に漫画の神様、手塚治虫がいるとの事です。
右から順に豪華な飾り立てがされている理由

妻沼聖天山の画像12
妻沼聖天山のパンフレット
その他の撮影をした画像

妻沼聖天山の正面口

妻沼聖天山の正面門

妻沼聖天山の正面門の像

斎藤実盛の像

妻沼聖天山にあったひな壇

妻沼聖天山に門



妻沼聖天山の画像9

妻沼聖天山の画像11

妻沼聖天山の画像13

妻沼聖天山の画像14

妻沼聖天山の画像15

妻沼聖天山の画像16

妻沼聖天山の画像17

妻沼聖天山の画像18

妻沼聖天山様の一番良いアングル

妻沼聖天山様、本堂

妻沼聖天山様、周辺地図

平和の塔

妻沼聖天山の画像10
妻沼聖天山の地図と駐車場情報

妻沼聖天山の駐車場掲示板
アクセス情報
JR熊谷駅~朝日バス太田駅行・妻沼聖天前行・西小泉駅行~「妻沼聖天前」下車(1分)
時刻表は朝日自動車株式会社のホームページを参照して下さい。
熊谷市ゆうゆうバスグライダー号・ムサシトミヨ号「妻沼聖天山前」下車(1分)時刻表などはこちらから
駐車場情報と観光マップ
上の画像は周辺地図と駐車場情報が掲載をされています。
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