後ろから、なーんにも来ない。後ろからは、なーんにも来ない。
皆さんご存知、昭和の怪物の1頭、テスコガビーの桜花賞での杉本清の名実況になるのですが、そんなテスコガビーの供養塔が東松山の高坂方面にあるのを知っているか?私は知りませんでしたが、割と最近になって建立をされた物となりますので、知らない人が多いのも無理ないと思います。平成31年に出来た供養塔です。
これ、競馬を知らない人からしたら、ふーん。位ですが、G1の1600メートルで、ここまで着差がつくのは凄い事で、怪物と呼ばれていたのも分かって頂けるのではないか?と思いますが、この後にオークスも強い競馬で2冠を達成。(なんか動画が見れなくなりましたので、下に再掲載をしました。)
勝負の世界に[たられば]を言っても仕方がないのですが、無事であれば初の牝馬三冠達成も濃厚だったでしょうね。心臓麻痺で急逝。細かい話をすると、怪我をしたりで、心臓麻痺で亡くなるのは、オークスの二年後位です。
テスコガビーの名前の由来
不動産会社を経営する長島忠雄が馬主となった。彼の隣家にシャーチというスイス人の貿易商が住んでいて、そこにガビエル(ガブリエル)という女の子がいた。家族ぐるみの付き合いで、みな彼女をガビーちゃんと呼んだ。こうして長島の馬はテスコガビーと名付けられた。
引用先:光陰、馬のごとし テスコガビー
と言う事で、おっさんが、おっさんがなる前どころか、生まれてすらいなかった、江戸時代生まれもいたであろう時代に、スイス人の貿易商が高坂方面に住んでいた事に、まずは驚きを感じますね。そして、その娘のニックネームからテスコガビーと言う名前に繋がった訳です。
へー。。と言う感じなのですが、馬主さんは、まだ存命なのでしょうかね?この供養塔の近くに馬主さんと同じ苗字の自動車の整備工場などもありまして、親戚の方なのかな?と勝手に推測をしていますが、本当の所は分かりません。詳しい方がいたら、教えて下さい。供養塔を見ると、馬主さんの名前の下に供養の為。と書かれているので、馬主さんも亡くなってしまったの?それとも、主語のテスコガビーの供養の為に、この方々が建てましたよ。と言う意味なんでしょうかね?
※コメント欄より、親族の方より貴重な情報を頂きました!ありがとうございました!
最初、グーグルマップで見つけた時には、テスコガビー?俺の知ってるテスコガビーって、一つしかないけれど、何でその供養塔が高坂の方にあるの?と疑問が一杯でしたし、知っているのとは違うテスコガビーなんじゃないか?とか色々と考えたのですが、完全に知っているテスコガビーでした。
馬主さんが東松山の方だったのですね。全く知りませんでした。こうした事を知ると、何だか良く分からないけれども、往年の名馬の1頭。と言う程度の認識で、遠い存在だったのが、勝手にグッと親近感を持ちますよね。
この辺りには、古墳もあったりと、まだまだ開拓の余地が自分の中にありますので、時々行く予定です。
なんや?何か記事内に問題ありましたかね?
馬主の親族ですが、供養塔に来て頂きありがとうございます。長島の実家は東松山ですが、田園調布に住んでいて貿易商スイス人に出会ったのです。
テスコガビーの供養を怠った為に改めて供養塔を長島家が建てたので、私も供養塔の前で詫びました。馬主も供養できておらず名前があって、親族がそれぞれ馬頭観音からお叱りを受け、今に至ります。
まずは、コメントおよび、貴重な情報、ありがとうございました!
東松山に当時、スイス人はいなかった。と言う、当たり前と当たり前になりますが、事実が知れて良かったです。
新しく入れた動画の最後の方にガビエルさんらしき女性が映っていますね。新しい発見が出来ました!重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました!