
根岸家長屋門の標識
何度この道を通ったのか?数えていないのですが、かなり通っています。通る度にいつか行ってみたいな。と思っていたのですが、何となく腰が重い。そんな事、あると思います。そもそも無料で出入り自由とか言われてしまうと、返って入り辛い気持ちになってしまいますね。門の前に行っても誰も居ないから、勝手に入っていいものか?とか色々と考えてしまうのですが、結論としては、勝手に入って良いんです。びっくりする位に出入り自由となっていて、門は開きっぱなしです。誰一人、拒む姿勢がない状態です。時間のオープンとクローズは当然ありますので、その辺りは気を付けてね。と言う感じです。ちなみに9時から17時までとなります。
今でも同じ敷地内にて、根岸家の方が住んでいて、その方が旅行に行く事があれば、流石に一時的に閉まるかもしれない位ですかね。春の桜が綺麗と言う事で近隣では有名で、駐車場ではないと思いますが、それなりに広い芝生エリアがあり、雰囲気として、あくまでも雰囲気ですが、勝手に止めて、勝手に見て帰ってくれ。と言う雰囲気を個人的には感じました。
ミュージアム前にこんなにあるよ

根岸家長屋門の案内版

根岸家長屋門の外観

根岸家長屋門の入口

根岸友山・武香の功績

友山に春筑波嶺

草莽の臣 友山に 春筑波嶺
※日本五大名飯とは、
- 忠七めし(埼玉・小川町)
- 深川めし(東京・深川)
- さよりめし(岐阜・山岳地法)
- かやくめし(大阪・難波)
- うずめめし(島根県・津和野町)
で、話を根岸友山に戻しますが、恐らく一番多くの人が知っているのが、根岸線で、その根岸線を作った人で良いと思います。その息子の武香は吉見の百穴の研究に協力をした人です。根岸友山そのものは、新選組にも一時的にいたのかな?取り合えず、大河ドラマでもちょっと役としては登場をしていた人物になります。その辺りについてもミュージアム内で資料として展示をされており、下に画像を掲載しておきます。
ミュージアムの様子

友山・武香ミュージアムの入口

友山・武香ミュージアムの中
この辺り、私のサイトよりも、デザイナーもバッチリと加わり、誰かは分からないのですが、地方タレントさんらしき女性も使って、熊谷が少しだけ気合いを入れて作成をしたページがあります。
ミュージアム内細かい様子

新選組に登場をしている根岸友山のシーン

友山・武香ミュージアムにあるテレビ
帰ってきたら、やっぱり悔しい気持ちが残っているので、また次回行って、次までにDVDが直っていなければ、今度こそ家に行って、DVDが見れない事だけは伝えたいと思います。で、ついでに図々しく、 北辰一刀流兵法箇条目録を見せて下さい。とかも言えたら言ってみたいと思います。
→第112回 根岸家 17代目当主 根岸友憲さん (ねぎしとものり)
→友山まつり
友山まつり、行きたいね!

根岸家の敷地内の広大な庭

蘇民沛澤
蘇民沛澤、うん?どう言う意味でしょうかね?
回答
「蘇民」「沛澤」「澤霈」という熟語の意味については、日本国語大辞典、大漢和辞典、漢語大詞典に記載があったが、「澤沛民蘇」の意味を記述した資料は確認できなかった。
また、「蘇民沛澤」が『杜谷集: 幷附錄. 1-5』(高應陟著)所収の七言の句に使われていることが分かったが、注釈等意味の分かる記述はなかった。
相応の人達が検証をした結果、分からない。と言う結論になっていますので、私に分かる訳がないですかね。
お墓も目の前にありますよ
道を挟んで真向かいに根岸友山・武香のお墓があります。

根岸友山・武香のお墓

寺門静軒のお墓
寺門静軒かー、聞いた事はある気がするな?と思って調べてみたら、以下のサイトが出ました。
両宜塾では、荻野吟子(日本の女医第1号)、志方鍜(大審院判事)、土宜法龍(仁和寺第36世門跡、高野山管長)、稲村英隆(第38世歓喜院院主)、五渡などの多くの著名人を輩出しました。
はい。ここ大事です。
埼玉の三大偉人の一人と言われている荻野吟子が登場をしています。あー!そうだった。となりました。
私の旧サイトになりますが、私、行っています。点と点が繋がりましたね。
DVDに関しては、無念でしたが、良かった!
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