そして、4代名とお会いして、少し話を聞いて、うん?と色々と思う所があったので、確認も込みで行ってきました。うちの母親が元々は熊谷に住んでいた事があり、色々と詳しい。と言うのが理由で、こちらでお菓子を買っていたんですね。
中家堂には数台分の駐車場があるよ
こちらは中家堂の裏側の駐車場になりますが、お店の横にもあります。ただ、個人的にはこちらの方に行って貰いたいです。その理由はこちら。 見ての通り、燈籠になるのですが、結構思っていたよりもでかいですよ。で、こちらの燈籠が熊谷大空襲の生き残りになります。私は歴史が好きなのと、東松山市民になりますので、熊谷大空襲位は知っているのですが、世の中的には大空襲と言われたら、東京大空襲が最もメジャーになりますね。熊谷大空襲の規模については、東京とは流石に比較にはならないのですが、語り継がれているには訳がありまして、終戦前日に行われた規模の大きい空襲だったからです。その時、こちらの中家堂も蔵とこちらの燈籠を残して消失をしてしまったみたいです。その残った燈籠を多少修理を施して、今も駐車場の片隅に置かれています。
中家堂の中は中仙道から拝命
中家堂って名前は中仙道から名前を取っているみたいです。その後の家堂についてもきちんと理由がありますが、その辺りはページの下に中家堂の公式サイトのリンクを掲載をしておきますので、公式サイトから確認をして下さい。
サイトで調べた事を少し言い回しを変えて。と言うのは個人的には好きではないので、その辺りは参考元を掲載しておくだけにしておきたいと思います。
その公式サイトにも掲載をされているのですが、中家堂には以下の版画絵が飾られています。
少し歴史の時間
何となく分かると思いますが、驛はエキと読みます。上の版画絵になりますが、右の方に井戸があると思いますが、要するに馬を休める水飲み場などがある休憩場を指しています。ちなみに大きい松の木の下に井戸みたいなものがあります。それが水飲み場。
で、ここらかは少し歴史の時間を始めたいと思います。
普段は下に配置をしていますが、出来れば拡大表示をして頂きたいのですが、要するに熊谷は宿場町で、中山道に沿った場所に中家堂はありまして、昔からある郵便局が隣接をしている道は昔からある道。ここで言う昔は少なくとも明治を自分の中では指しているのですが、それは解説をしなくて分かると思いますが、郵便局制度が出来て、当時は便利だった場所に建てるのが当たり前ですから、自然と昔からある道になる訳です。ちなみに郵便局制度を真っ向から反対をしたのは飛脚の組合で、説得の為に、希望者は片っ端から郵便局員として採用をする事で反対をする人を黙らせましたとさ。めでたしめでたし。
で、今回、今の業態になったのは明治からですが、その前からお店自体はあった、中家堂のおかげで、聞いては居たけど本当だったんだな!と妙に感動をする事が出来ました。熊谷市の人であればご存じだと思いますが、中家堂の近くにある郵便局は本局であり、かつ同じ道を真っ直ぐ行けば、市役所ですね。電車の駅自体は後から出来ているので、昔から人が住んでいるエリアは駅と市役所が軽く遠いのは、そうした理由があるからです。もう市役所周辺には人が沢山住んでいる状態だからですね。
ここからが予測なのですが、市役所の前は何があったのか?これが個人的には気になっていたのですが、ちょうど昔からある中家堂に来た訳ですから、知っているかもしれない。と思って聞いてみました。一応自分の中では予測はしていましたが、その予測は寺。でしたが、中家堂の4代目が言うには、尼寺でした。あー!何で尼がつくんだよ!と思ったのですが、概ね正解にしておきたいと思います。
何故、市役所の前は寺と予測をしたのか?と言いますと、元々、お寺には寺請制度と言うのがありまして、これは人口と土地の管理をする為の制度でして、それを昔は寺がやっていたんですね。それが明治になって以降、人の管理については広くは国、狭めれば自治体が行う事になりましたので、そこに寺の役目を終わらせて建てたのが市役所。と言う形で予測をしました。結果は尼寺と言う事でした。一応ですが、人口管理が必要なのは税金を取る為です。
で、中山道の記念碑みたいなものは、八木橋の近くにあったと思いますので、江戸時代を足跡を感じたい人は、八木橋の近くまで足を運んでみて下さい。
以上、ちょっとした歴史の時間でした。
中家堂でお菓子買ってきた!
こちら、ざっとですが、購入してきた中家堂のお菓子になります。中家堂では小麦に関しては、熊谷産のを使用しています。なるべく産地で消費をする。と言う心意気になりますね。大きいサイズと小さいサイズの軍配煎餅がありますが、微妙に味に違いがあります。小さい方は熊谷の取れたての卵を入れていたりと、成分にも違いがあるみたいです。自分としては一番好きなのは、小さい方の軍配煎餅ですね。2018年になってから登場をしたのが、黒糖アーモンドギャレットになっていまして、こちらが新商品です。お店に行けば、大小の軍配煎餅と同様にお試しで食べる事が出来ますので、興味があって近場の人は実際にお店に行ってみて下さい。美人な女将が待っております。
中家堂がWikiになったよ!
取り合えず、公式サイトを紹介します。
上記からそのまま商品の購入も可能となりますので、食べてみてちょ!
→熊谷の老舗菓子屋『中家堂』(くまがやねっと情報局)
→中家堂(Wiki)
→中家堂・クリスマス限定の軍配せんべい(見栄子の熊谷らいふ♪)
Wikiになっているのが凄いですよね。くまがやねっとさんに掲載をされているのは、別になんとも思わないのですが、いつだって、熊谷の店を書く時は、ほぼほぼ見栄子が私の前にいる。少しだけですが悔しい!
少しだけあとがき
コムケンさんのお陰で地域ブロガーなんて言葉を変に意識し始めたのですが、私自身は別に県外の人に、おらが村においでよ。と言う気持ちは大してないんですよね。東京はなおさらでしょうが、埼玉も同じように、縁もゆかりなかったけど、仕事の都合で埼玉に引越しをしてきた。と言う人が多いんですよね。
何年住んでも自分の地域の事が良く分からない。興味もないし。と言う人の方が圧倒的に多いのですが、そうした事から脱却して、良い歳しておらが村を見つめ直す、一種の修行で記事を書いています。どうせ修行するなら楽しく修行をしたいよね。位ですね。
別の東松山も熊谷も来なくて良いんですよ。自分の住んでいる場所の事を、これまでと少しだけ違った視線で見て頂くきっかけの些細な一つとなって貰えたら、それで大満足です。それまではビックリマンを食っています。
個別の記事に関しては、その時々の気分で書いていますので、方向性としてはブレブレになりますが、人生を実り豊なものにしたい。と言う気持ちは他の人と同じようにありますかね。
歴史に興味もなけらば、煎餅に興味もない人であれば、全く興味が湧かないであろう記事になりましたが、書くまでの間については、相当自分としては満足しました。念の為に、もう一度書いておきます。女将が美人だった。
中家堂に行ってきました。軍配煎餅は子供の頃より食べています。取り合えず、前に行った時には居なかった女将と対面したけど、凄く美人さんでした。それが一番記憶に残っています。
中家堂(熊谷の老舗銘菓)https://t.co/osKXE7vLhv pic.twitter.com/HyRwSIZCQu
— コジマ (@kojima) 2018年8月30日
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