埼玉古墳群は見所が一杯

稲荷山古墳

稲荷山古墳

古墳自体は埼玉件各所にもありますし、それ以外の関東圏にも多数あると思いますが、埼玉の中での古墳としては、やはり行田市が一番になると思います。中でもこちらの埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)では、古墳が集結をしている形になりますので、1日で多くの古墳を上り下りをする事が出来ます。埼玉古墳群の中では最大級の大きさとなる二子山古墳は周囲から見るだけとなっていますが、実際に見てみたら、やっぱり大きいですね。

この日はちょうど古墳群ガイドツアーが行われており、学芸員の方の説明を聞きながらまわる事が出来たのですが、それでも見る事が出来たのは半分程度の古墳と資料館や博物館のみとなっていて、全ての古墳群の古墳を見るだけの時間が足りませんでした。こちらの古墳群以外にも、少し離れた距離だけで7コの古墳がガイドマップに掲載をされているのですが、小さな規模の古墳も含めると、何個あるのかはちょっと分からない位です。それ位に周辺は古墳だらけになりますね

瓦塚古墳

瓦塚古墳1

瓦塚古墳1

瓦塚古墳2

瓦塚古墳2

形象埴輪が多数出土したのがこちらの瓦塚古墳になります。堀と堤が再現をされていて、埼玉史跡の博物館から一番近い距離にある古墳となります。

愛宕山古墳

愛宕山古墳

愛宕山古墳

愛宕山古墳の案内版

愛宕山古墳の案内版

埼玉古墳群の中にある前方後円墳としては、サイズ的に最も小さい古墳がこちらの愛宕山古墳になります。名前の由来としては、墳頂部に愛宕社が祀られていた事から付けられたみたいですが、この○○が祀られていた。と言うパターンは他の古墳でも似たケースが多くなっていた、稲荷山古墳も同じ様に稲荷様が祀られていた。と言う事からそうした名前が付けられています。

丸墓山古墳

丸墓山古墳の前

丸墓山古墳の前

丸墓山古墳の案内版

丸墓山古墳の案内版

丸墓山古墳の景色、忍城が見える

丸墓山古墳の景色、忍城が見える

丸墓山古墳の別景色

丸墓山古墳の別景色

日本で最大となる円墳がこちらの丸墓山古墳になります。史跡の博物館からこちらに行く場合に通る道が石田堤と呼ばれている所で、忍城を攻める際に石田三成が水攻めをする為に作らせた堤防の一部となっていて、現存をしている石田堤はこちらともう1箇所ぐらいらしいです。

実際に石田三成もこちらの丸墓山古墳に上り、忍城を見ていたと言われています。分かりにくいと思いますが、実際に頂上から上って見た所、確かにわずかですが忍城を確認する事が出来ました。当時は他にも何も高い建物がなかったと思いますので、今よりももっとはっきりと見る事が出来たであろう事は想像出来ますね。

上の画像が石田堤で、上から3枚目の画像をクリックして頂ければ、真ん中辺りに忍城が見えると思いますので、見たい方はクリックして拡大表示をしてみて下さい。一番下の画像は丸墓山古墳の頂上から見た稲荷山古墳になります。

行田市の郷土博物館(忍城跡)を見て来た

稲荷山古墳

稲荷山古墳

稲荷山古墳

稲荷山古墳の案内版

稲荷山古墳の案内版

稲荷山古墳の鉄剣が出土した場所

稲荷山古墳の鉄剣が出土した場所

稲荷山古墳出土鉄剣があったのが、こちらの稲荷山古墳になります。国宝に指定をされている重要な物となるのですが、金錯銘鉄剣と言うのが正式名称となっており、他にも国宝に指定をされている画文帯環状乳神獣鏡が見つかっています。その他、勾玉も見つかっており、三種の神器と言う感じになりますね。

埋葬をされていた人物と鉄剣の所有者が必ずしも同一になるのか?と言う点では疑問点は残るみたいです。鉄剣からは当時の大王の親衛隊長をやっていた人のお墓。と言う事が分かるのですが、それだけ位が高いのであれば、もっと多くの埋葬品があってしかるべきではないか?と言う疑問が残るみたいですね。

こちらの稲荷山古墳では、もう一人の埋葬をされていたのは確認をされているのですが、盗掘にあってしまったみたいで、埋葬品などは確認をされませんでした。埋葬品が見つかった上には、お稲荷様の社が祀られていた場所となっていて、そのお陰で盗掘被害に合わなかったのではないか?と考えられているみたいです。時代的に社が分かった上で建てられたのか?たまたま埋葬をされている上に建てられたのか?その辺りについても残るのですが、この鉄剣に文字が刻まれている事が発見をされた事で、本当に少しではありますが、空白の5世紀と呼ばれている時代の事となっていて、日本史としては極めて重要な鉄剣となります。

芝生広場

芝生広場

芝生広場

稲荷山古墳を降りると、芝生広場と呼ばれる広々とした空間に出ます。こちらはでは近所の方は犬の散歩をしていたり、子供が遊んでいたりと言う形で、なごむ場所としてあるのですが、こんもりとした感じで花が植えられている箇所が画像だけで4箇所見つける事が出来ると思いますが、こちらはそれぞれ古墳の跡になります。

大きな古墳が権力者の象徴として。と言う説には説得力はあるのですが、こうした非常に小さな規模の古墳を見ると、1日2日あれば、2人位で作る掘る事が出来る古墳もありますので、古墳というのが必ずしも権力者の物だけではなかったのでは?と思いますが、本当の所はどうなのでしょうかね。

将軍山古墳

将軍山古墳

将軍山古墳

将軍山古墳の埴輪

将軍山古墳の埴輪

石室内の再現展示

石室内の再現展示

こちらは展示館も兼ねている古墳となっていて、実際に出土をした位置に行く事が出来る古墳となっています。別途有料となっていて、一般で200円の費用が掛かりますが、こちらで購入をしたチケットは埼玉県立さきたま史跡の博物館と共通になっていますので、両方で使えますので、両方見に行くようにしましょう。

こういう形で埋葬をされていただろうで。と言うのが再現をされていて、

埴輪の再現もされていて、出土状況を考慮した配置になっていると思われますが、こんな感じに埴輪が置かれていましたよ。と言うのも周りから見る事が出来る様になっています。

ここで古墳群ガイドツアーは終了となります。

2017年に関しては9月16日、11月3日の残り2日間しかありません。多分ですが、毎年やってくれていると思いますが、4月に3回、5月に1回となっていて、それ以外の時期には回数としては非常に少ないので、古墳群をガイド付きで説明を聞きながら楽しみたい人は、近くの役場や公民館などで耐えるパンフレットのチェックをしておく様にしましょう。

その他、古墳キッズガイドツアーと言うのが7月8日に用意をされています。こちらは予備日は9日となりますが、夏休み前と言う、若干中途半端なタイミングになりますね。あまり暑いタイミングになりますと、熱中症などにもなりやすいので、そうした時期には安全上として開催をされていないのかもしれません。

また史跡探訪と言うのもあります。こちらは5月27日と12月2日になるのですが、5月27日の分はすでに受付が終了となっています。募集人数が少ないのもあるのですが、非常に人気が高い形になりますね。料金は100円となっていて、非常にリーズナブルな料金となっていたのですが、参加出来ないみたいです。残念でした。

埼玉県立さきたま史跡の博物館

金錯銘鉄剣

金錯銘鉄剣

金錯銘鉄剣の案内版

金錯銘鉄剣の案内版

埼玉県立さきたま史跡の博物館の埴輪

埼玉県立さきたま史跡の博物館の埴輪

こちらも30分間隔になりますが、無料でガイドさんが説明をしながらお話を聞かせて頂く事出来るのに参加をしました。館内は国宝だらけとなっていて、何だか有り過ぎて、一発物の国宝の様なインパクトが薄れてしまったのですが、金錯銘鉄剣はやはり雰囲気が出ている形で展示をされていました。酸化を防ぐために中には窒素が入れられており、かなり厳重に管理をされているのが分かりますね。

金錯銘鉄剣はこんな事が書かれている

辛亥の年(471年)に記します。(わたくし)ヲワケの先祖は、代々杖刀人首(親衛隊長)を努めてきました。わたくしはワカタケル大王(雄略天皇)に仕え、天下を治めるのを助けました。そこでこのすばらしい剣にこれまでの功績を刻んで記念とします。

上記、埼玉県立さきたま史跡の博物館で配布をされているパンフレットより引用をさせて頂きました。文字は削られて、その後に金を流し込んで文字を出している形になっていた為、錆びを除去した所、今も文字が綺麗に浮かび上がっている形になります。

色々と修復をした箇所は多いと思いますが、約1500年前に作られた文字がはっきりと見えるのは凄いですね。その他、埴輪も多数展示をされておりますが、室内自体は広さはありません。無料のガイドさんの説明を聞く場合には、30分、そこから自分で見る分を加えると1時間は掛かりませんが、それに近い位の時間は掛かると思います。

館内では埴輪作りを体験するコーナーがあったりしますので、子供がいて、そうした体験をさせて見たいと考えた場合には、より多くの時間を取っておいた方が良いでしょう。

二子山古墳

二子山古墳

二子山古墳

二子山古墳の案内版

二子山古墳の案内版

埼玉古墳群、および関東方面では最大級となっているのが二子山古墳になります。あまり整備が進んでいないのか、古墳自体、発掘があまり進んでいない部分もあると思いますが、取りあえず近づける場所まで近づいてみた所、大きさはやっぱり感じることが出来ましたね。

埼玉古墳群の古墳はまだある

ガイドツアーで見た古墳と博物館までは足を運ぶ事が出来ましたが、まだ埼玉古墳群には古墳があります。鉄砲山、奥の山、中の山、浅間塚古墳、古墳群だけでも、4つ残っているのですが、さきたま古墳公園ガイドマップで紹介をされている古墳だけでも、7箇所あります。場所を行田市に限らなければ、もっとあるでしょうね。機会があれば少しずつ消化をする為に見て行きたいと思います。その他に古墳ではないのですが、移築民家も展示をされており、こちらも見ないで今回は終了となりました。

今回は2時のガイド開始に合せて移動をしたのですが、2時間位前に到着をしておけば、ツアーで見れなかった古墳と食事を取る時間位は確保をする事が出来ると思います。ただ、ガイドツアー自体が次回は当面先の話になりますね。

ガチャガチャで古銭を買ってみました

ガチャガチャの古銭

ガチャガチャの古銭

博物館前に露店が2つほどあったのですが、その横にガチャガチャがありました。なんて事はなく素通りをしようとしたのですが、埴輪などの商品が出るガチャガチャもあったのですが、古銭が出る。と言うガチャガチャがあり、興味が湧いたので購入をしてみました。張り紙に全部本物。と書かれていたのですが、真贋を見極める目は持っていないので、正確な所は分かりませんが、個人的には本物と信じておきたいと思います。

500円札が入っているのを確認したので、出来ればお札が欲しいと思って回したのですが、寛永通宝と景徳之宝と言う通貨を獲得。景徳之宝って何?と思い、色々と調べてみたのですが、景徳元宝みたいですね。いわゆる北宋銭と呼ばれている通貨となっているみたいで、元々ガチャガチャは1回200円となりますので、200円の価値がないもの。と言うのは分かっていたのですが、1004年と書かれていますので、年代物でそれなりに価値があるのかな?と思ったのですが、180円で売られている商品みたいです。

何とかお札が欲しいな。と思っていたのですが、博物館から出たら、もう店じまいとなっていて、リベンジならず。ガチャガチャは撤去されていました。

埼玉古墳群の関連サイトと動画


鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) 単行本(アマゾン)

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ちょっと高い飲食店のおばちゃんに、「あたなは大器晩成。50過ぎてから成功する!」と言われました。だから、今は凄く頑張ってもロックが掛かっていて、そのせいで、突き抜けられない。と自分に言い聞かせています。写真はジャワ原人ですが、目が二つで、耳があって口があるので、大体こんな感じです。笑うとオダギリジョーに少し似ていると言われました。イケメン説が浮上しています。