
稲荷山古墳
この日はちょうど古墳群ガイドツアーが行われており、学芸員の方の説明を聞きながらまわる事が出来たのですが、それでも見る事が出来たのは半分程度の古墳と資料館や博物館のみとなっていて、全ての古墳群の古墳を見るだけの時間が足りませんでした。こちらの古墳群以外にも、少し離れた距離だけで7コの古墳がガイドマップに掲載をされているのですが、小さな規模の古墳も含めると、何個あるのかはちょっと分からない位です。それ位に周辺は古墳だらけになりますね
瓦塚古墳

瓦塚古墳1

瓦塚古墳2
愛宕山古墳

愛宕山古墳

愛宕山古墳の案内版
丸墓山古墳

丸墓山古墳の前

丸墓山古墳の案内版

丸墓山古墳の景色、忍城が見える

丸墓山古墳の別景色
実際に石田三成もこちらの丸墓山古墳に上り、忍城を見ていたと言われています。分かりにくいと思いますが、実際に頂上から上って見た所、確かにわずかですが忍城を確認する事が出来ました。当時は他にも何も高い建物がなかったと思いますので、今よりももっとはっきりと見る事が出来たであろう事は想像出来ますね。
上の画像が石田堤で、上から3枚目の画像をクリックして頂ければ、真ん中辺りに忍城が見えると思いますので、見たい方はクリックして拡大表示をしてみて下さい。一番下の画像は丸墓山古墳の頂上から見た稲荷山古墳になります。
稲荷山古墳

稲荷山古墳

稲荷山古墳の案内版

稲荷山古墳の鉄剣が出土した場所
埋葬をされていた人物と鉄剣の所有者が必ずしも同一になるのか?と言う点では疑問点は残るみたいです。鉄剣からは当時の大王の親衛隊長をやっていた人のお墓。と言う事が分かるのですが、それだけ位が高いのであれば、もっと多くの埋葬品があってしかるべきではないか?と言う疑問が残るみたいですね。
こちらの稲荷山古墳では、もう一人の埋葬をされていたのは確認をされているのですが、盗掘にあってしまったみたいで、埋葬品などは確認をされませんでした。埋葬品が見つかった上には、お稲荷様の社が祀られていた場所となっていて、そのお陰で盗掘被害に合わなかったのではないか?と考えられているみたいです。時代的に社が分かった上で建てられたのか?たまたま埋葬をされている上に建てられたのか?その辺りについても残るのですが、この鉄剣に文字が刻まれている事が発見をされた事で、本当に少しではありますが、空白の5世紀と呼ばれている時代の事となっていて、日本史としては極めて重要な鉄剣となります。
芝生広場

芝生広場
大きな古墳が権力者の象徴として。と言う説には説得力はあるのですが、こうした非常に小さな規模の古墳を見ると、1日2日あれば、2人位で作る掘る事が出来る古墳もありますので、古墳というのが必ずしも権力者の物だけではなかったのでは?と思いますが、本当の所はどうなのでしょうかね。
将軍山古墳

将軍山古墳

将軍山古墳の埴輪

石室内の再現展示
こういう形で埋葬をされていただろうで。と言うのが再現をされていて、
埴輪の再現もされていて、出土状況を考慮した配置になっていると思われますが、こんな感じに埴輪が置かれていましたよ。と言うのも周りから見る事が出来る様になっています。
ここで古墳群ガイドツアーは終了となります。
2017年に関しては9月16日、11月3日の残り2日間しかありません。多分ですが、毎年やってくれていると思いますが、4月に3回、5月に1回となっていて、それ以外の時期には回数としては非常に少ないので、古墳群をガイド付きで説明を聞きながら楽しみたい人は、近くの役場や公民館などで耐えるパンフレットのチェックをしておく様にしましょう。
その他、古墳キッズガイドツアーと言うのが7月8日に用意をされています。こちらは予備日は9日となりますが、夏休み前と言う、若干中途半端なタイミングになりますね。あまり暑いタイミングになりますと、熱中症などにもなりやすいので、そうした時期には安全上として開催をされていないのかもしれません。
また史跡探訪と言うのもあります。こちらは5月27日と12月2日になるのですが、5月27日の分はすでに受付が終了となっています。募集人数が少ないのもあるのですが、非常に人気が高い形になりますね。料金は100円となっていて、非常にリーズナブルな料金となっていたのですが、参加出来ないみたいです。残念でした。
埼玉県立さきたま史跡の博物館

金錯銘鉄剣

金錯銘鉄剣の案内版

埼玉県立さきたま史跡の博物館の埴輪
金錯銘鉄剣はこんな事が書かれている
辛亥の年(471年)に記します。(わたくし)ヲワケの先祖は、代々杖刀人首(親衛隊長)を努めてきました。わたくしはワカタケル大王(雄略天皇)に仕え、天下を治めるのを助けました。そこでこのすばらしい剣にこれまでの功績を刻んで記念とします。
上記、埼玉県立さきたま史跡の博物館で配布をされているパンフレットより引用をさせて頂きました。文字は削られて、その後に金を流し込んで文字を出している形になっていた為、錆びを除去した所、今も文字が綺麗に浮かび上がっている形になります。
色々と修復をした箇所は多いと思いますが、約1500年前に作られた文字がはっきりと見えるのは凄いですね。その他、埴輪も多数展示をされておりますが、室内自体は広さはありません。無料のガイドさんの説明を聞く場合には、30分、そこから自分で見る分を加えると1時間は掛かりませんが、それに近い位の時間は掛かると思います。
館内では埴輪作りを体験するコーナーがあったりしますので、子供がいて、そうした体験をさせて見たいと考えた場合には、より多くの時間を取っておいた方が良いでしょう。
二子山古墳

二子山古墳

二子山古墳の案内版
埼玉古墳群の古墳はまだある
ガイドツアーで見た古墳と博物館までは足を運ぶ事が出来ましたが、まだ埼玉古墳群には古墳があります。鉄砲山、奥の山、中の山、浅間塚古墳、古墳群だけでも、4つ残っているのですが、さきたま古墳公園ガイドマップで紹介をされている古墳だけでも、7箇所あります。場所を行田市に限らなければ、もっとあるでしょうね。機会があれば少しずつ消化をする為に見て行きたいと思います。その他に古墳ではないのですが、移築民家も展示をされており、こちらも見ないで今回は終了となりました。
今回は2時のガイド開始に合せて移動をしたのですが、2時間位前に到着をしておけば、ツアーで見れなかった古墳と食事を取る時間位は確保をする事が出来ると思います。ただ、ガイドツアー自体が次回は当面先の話になりますね。
ガチャガチャで古銭を買ってみました

ガチャガチャの古銭
500円札が入っているのを確認したので、出来ればお札が欲しいと思って回したのですが、寛永通宝と景徳之宝と言う通貨を獲得。景徳之宝って何?と思い、色々と調べてみたのですが、景徳元宝みたいですね。いわゆる北宋銭と呼ばれている通貨となっているみたいで、元々ガチャガチャは1回200円となりますので、200円の価値がないもの。と言うのは分かっていたのですが、1004年と書かれていますので、年代物でそれなりに価値があるのかな?と思ったのですが、180円で売られている商品みたいです。
何とかお札が欲しいな。と思っていたのですが、博物館から出たら、もう店じまいとなっていて、リベンジならず。ガチャガチャは撤去されていました。
埼玉古墳群の関連サイトと動画
→鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) 単行本(アマゾン)
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