ただ、書かれているのは本当にかすかに読める部分がある。と言う感じで、そこに時代の年季を感じますね。
この宗悟寺は徳川家の家臣である森川金右衛門氏俊が治めていた土地にもなり、森川金右衛門氏俊の羽織も展示をされており、こちらについても見る事が出来ました。話を聞いたり、大きな空間と本像など、色々とみているうちに圧倒をされてしまい、写真はほぼ撮らず。
中を出た後は森川家の墓を探索したりと、敷地も広めとなっているので、ほどよい探索となりました。
宗悟寺の電話番号は以下になります。お掛け間違い無いの用にして下さい。
0493-39-0617
また駐車スペースは十分にあります。
源頼家の位牌が何故あるのか?
源頼家の墓自体は静岡県になります。頼家の妻の若狭局が比企出身となっており、この辺りの周辺の出身だったらしく頼家が死亡した後に、位牌を持って、帰ってきた為、遺影がこちらに残されている。と言う形になります。
その頼家の妻である若狭局が頼家が使っていた櫛を遺品として持っていたのですが、頼家を偲ぶ姿を見かねた若狭局の婆ちゃんが、櫛を沼に捨てて未練を断ち切れ。と言うアドバイスをして、それを実行して、櫛を捨てた沼が串引沼とされています。
事前の情報を得ずに見に行ったのですが、具体的にどこがその該当場所なのか分からず、ゴルフコースが隣接をしており、沼というよりも、湖があったのですが、看板の奥が沼だと思い込んでいたのですが、他の方のサイトを見たら、どうも湖の方が沼だったみたいです。
これ、もう沼じゃないでしょう?と言う規模に水があったので、勘違いをしてしまいましたね。その方のサイトのリンクも掲載をしておきますので、そちらを画像は参考にして頂ければと思います。宗悟寺より徒歩で行ける距離にはなります。
串引沼の場所は若干わかり辛いです。下に掲載をしているグーグルマップについては、宗悟寺を中心に置かれているのですが、そこから左上にマップをずらして頂くと、比丘尼山横穴群と言うのが目に入ると思いますが、そこの左側に川があるのも分かると思います。そちらを上がっていく形になります。車で行くのは結構キツイ場所になりますので、宗悟寺を訪れた際にお寺の人に一声掛けるなり、比丘尼山横穴群を見たついでに行くのが良いかと思います。マップで見ると、完全に川越カントリークラブに入っている様に見えます。
比丘尼山横穴群
上記ページ内で比丘尼山横穴群の紹介をしています。ページ内にも記載をしていますが、地図情報で表示をされている、比丘尼山横穴群の情報には誤りがありますので、比丘尼山横穴群に訪れてみたい人は要注意です。
源頼家は2代目将軍
書きそびれたので追記です。源頼家は鎌倉幕府の2代目将軍で父親は源頼朝になります。3代将軍は弟の実朝となりますが、頼家は将軍としてあまり適格な人物ではなかったみたいで、追放をされたりした、中々破天荒な人物だったみたいです。頼家の息子の一人となる公暁が叔父である実朝を殺害をして頼朝の直系の将軍が途絶える形になりました。
その辺りについては書籍などで詳しく書かれているのが多くなると思いますので、興味がある方は鎌倉関連の書籍を購入してみて下さい。
串引沼の案内板
宗悟寺から歩いていける距離にあるのが串引沼になるのですが、沼と言うよりも湖レベルとなっています。ゴルフコースの中にあるので、余計に池ポチャ様の湖かと思いますが、それが串引沼です。その他のサイト
各サイト、歴史が好きな人のサイトになります。年代的にも、このサイトよりも随分前から始めているサイトが多いですね。凄いですよね。色々と他の方のサイトを見て勉強して頂ければと思います。
→宗悟寺について紹介をしているサイト
→比企氏館跡と宗悟寺(埼玉県東松山市)
→きまぐれ旅写真館
朝の自転車史跡めぐり 市内大谷地区の伝説コ-ス 2011.9.24
(1分40秒辺りで宗悟寺登場、周辺施設も多数)
こちらの動画内でも、宗悟寺が出てきます。
こちら、埼玉県の大きな書店などでも、かなり平積みで置かれているのを見た事がある人も多いと思います。比企一族について詳細が掲載をされている書籍となりま
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