弁天沼(鳴かずの池)に行ってみた

弁天沼(鳴かずの池)の案内板

弁天沼(鳴かずの池)の案内板

崖の上のポニョじゃなくて、坂上田村麻呂が悪竜を倒して埋めた。と言う伝説が残っている弁天沼に行ってきました。鳴かずの沼とも言われているのですが、カエルがいないんだって。へー。と言う話ですが、この辺りは他のサイトなども紹介をしておきたいと思います。

弁天沼の雰囲気

弁天沼(鳴かずの池)と橋

弁天沼(鳴かずの池)と橋

弁天沼(鳴かずの池)

弁天沼(鳴かずの池)

弁天沼(鳴かずの池)にある祠

弁天沼(鳴かずの池)にある祠

弁天沼(鳴かずの池)にある弁天様

弁天沼(鳴かずの池)にある弁天様

沼だけを見ると、凄く汚いなー。と思えるのですが、小さな橋があって、味のある景色ですよね。霊園が目の前にありまして、そちらに石塔婆がありました、そちらも下に紹介をしておきますが、まずはこちらの弁天沼について書いている記事を紹介したいと思います。

埼玉県東松山市岩殿の弁天沼(鳴かずの池)
弁天沼(鳴かずの池) 埼玉県東松山市岩殿
弁天沼(埼玉県東松山)
鳴かずの池
2 鳴かずの池(弁天沼)

もどかしい気持ちになりますね。歴史に詳しい人の場合には、オリジナルドメインではなく、無料ブログで使われている事が多くて、オリジナルドメインでデザイン力が高いブログの場合には、歴史的にそこまで詳しい人ではないケースが多いのかな?と思いますので、その辺りにもどかしさを感じます。

東松山市の指定文化財の石塔婆

石塔婆の案内

石塔婆の案内

昔からあるだろう像

昔からあるだろう像

真ん中にあるのが石塔婆

真ん中にあるのが石塔婆

東松山の指定文化財にもなっている石塔婆です。この辺りは昔から霊園だったのでしょうかね?古そうな石像がありましたので撮影をしておきました。歴史に詳しい人は教えて下さい。

伝説を考える

ポニョ如きが竜を退治するのは無理だろうし、そもそも竜はファンタジーになる訳ですが、日本の場合には、中国大陸から戦いに負けて逃げてきた人も多い訳ですし、坂上田村麻呂については当時の征夷大将軍で、天皇に従わない勢力を潰す役割も担っていたと思いますので、要するに当時の朝廷に従わないで、勝手に俺様が皇帝な!と名乗っていた勢力がまだ残っていたのではないでしょうか?

竜=皇帝みたいな認識を当時の支配層は持っていたと思います。この辺りは中国文化の影響ですかね。だから、中国の役人とかの服装とかに竜が描かれているのは多いのですが、皇帝が着ている服に描かれている竜は、それ以外の人が着ている服にある竜よりも爪が多いとか、そんなのがあったと思います。

悪竜ってのは、従わないよーん。としている勢力がこの辺り、当時あって、踏み潰されたのではないでしょうか?何もかくたる根拠もなく、個人的な妄想になりますが、伝説が多少本当であれば、そこまで間違っていない気もあります。

羽賀研二以来、まだ征夷大将軍が現れておりませんので、次なる征夷大将軍での登場が待たれますね。それにしても羽賀研二も大した男で、芸能界で一族で上位ポジションを取っていた梅宮家を相手に、あそこまで暴れ回った訳ですからね。大した男ですな。

取りあえず、ドラマでも大事なシーンで登場をしているエリアになりますが、その辺りについては以下のページを見て頂ければと思います。

岩殿観音正法寺に行ってみた

その外、近いので興味がある方は行ってみて下さい。

足利基氏の塁跡案内板

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ちょっと高い飲食店のおばちゃんに、「あたなは大器晩成。50過ぎてから成功する!」と言われました。だから、今は凄く頑張ってもロックが掛かっていて、そのせいで、突き抜けられない。と自分に言い聞かせています。写真はジャワ原人ですが、目が二つで、耳があって口があるので、大体こんな感じです。笑うとオダギリジョーに少し似ていると言われました。イケメン説が浮上しています。