geocitiesからの生き残りはモノが違う。これは吾輩の持論です。
地元の昔話とかでちょっと調べたりしていたら、硬派なサイトと遭遇をする事が出来ました。
凄いサイトですよね。本名もサイトの方にて掲載をされているのですが、ここではあえて書く必要はないので、afoxaiさんと呼ばせて頂きます。
ちょっと、この辺りの病院に通っていて、いつもは結構待たされて薬を受け取った時点で疲れきってしまうのですが、この日は病院がたまたま空いていたので、時間もちょびっと出来たので、あ!そう言えばafoxaiさんのサイトで書かれていたのを自分の目で確認してくるべ!と思い立って行ってみたんですよね。主に下沼と上沼の話なのですが、途中で訳の分からない、じっちゃんに話かけられて、色々と教えて貰いました。
まずは下沼の女橋の確認だ!
そうは言っても、どこなんだろうね?下沼公園も、意外と広いからね。探せなかったら、腹たつわー。とかブツブツと頭の中で考えていて、トイレが目印なんだろう?と思いながら歩いていても、うん?どこ?となったのですが、これ、図書館の前でした。道向かいね。
なんかあるじゃん?馬頭観音様。その横にあります。 あったぜ!となりました。afoxaiさんのサイトを見て思ったのが、裏側を見ていないのかな?と言う事でした。裏側とかに、作られて日にちとか書かれている可能性、、あると思います。と言う事で実際に見つけて裏側を見てみたのですが、驚く位に何もなかったですね。
とりあえず、『をんなばし』、ゲットだぜ!
八雲神社を通って上沼へ
ありますよね。八雲神社。Afoxai仙人のサイトでも紹介をされています。
なんかね。中学生の時ね。文化祭でテーマが何だったのか?ちゃんと覚えていないのですが、東松山の歴史とかだったのかな?吾輩、この神社に行って、普段は公開をしてない。とかの絵馬も見せて貰ったんですよね。子供って、そう言う点は強いですよね。今、おっさんが神社の人に見せて下さい!とか言うと、事案か下手したら警察に輪っぱかけられるもんね。
やっぱり、勝手に入ったら不味いんですかね?触らないから、見るだけ!見るだけ!
上沼で『おとこばし』を探そうぜ!
とりあえず、これは記憶にあったので、行ってきました。容易に発見。で、向こう側(現在は公園がある場所)も沼だったんだなー。と思いながら、鎮守橋と記念碑の撮影をしました。
そうしたら、どうだろう?
よくさ、大きい公園に自転車に乗っているんだけれども、何をしているのか?良く分からない、じっちゃんがいるじゃん?
写真撮影をしていたら、そんな自転車に乗ったじっちゃんが話かけてきてくれたんですよね。
と言う事で、Afoxai仙人のサイトにも掲載をされていなかった情報を、謎のじっちゃんが教えてくれました。
文中にあるトイレ奥ですが、ここも元々は沼でした。後述をしていますが、写真の公園はちんでん沼と呼ばれていた場所ですね。上記の会話のやり取りは可能な限り、その時の会話を再現していますが、日吉神社への道ではなく、多分ですが別の神社(もう無くなった神社)へと続いている道だったと思います。日吉神社だと、時代的に新しいので、違うかな?と思いますね。
広報誌のバックナンバーを見てみよう
じっちゃんが話をしていた広報が市役所の公式サイトに掲載をされていました。ちなみに『ちょっとより道、動物ZOO鑑、コアラ通信、えんじょいスポーツ、ミニミニ情報』になります。
http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/shisei/koho_kankobutsu/newsletter/R2/1611216451567.html
で、ついでなので、画像をアップしておきます。
男橋を発見!(する予定)
凄く探したぜ!
Afoxai仙人のサイトでストリートビューへのリンクが掲載をされているのですが、見たら負けじゃん?だから、探したんですよね。で、見つからなかったから、後日の宿題。ちょっと時間が無くなってしまったのですが、もう調べるとしら、あそこしかねー。と目星は付いているので、次回の用事で、近くに行ったら、また探してみますわ。
東松山の今昔あれこれで眼鏡橋と表記
『東松山の今昔あれこれ 郷土の歴史を考える物語』に昭和15年の頃の日吉町の商店図が掲載をされていましたが、それを見ると、眼鏡橋を境にして、中沼・ちんでん沼と表記をされていました。中沼・ちんでん沼は今は公園で沼ではないのですが、上沼は上沼だったんですね。
伝説の基となっている、北条への小田原征伐が行われたのは1590年になりますので、うーん。微妙ですね。あったけれど、壊れて、後日にまた再建。と言う可能性は高くはないだろうし。。と色々と試案してしまいますね。
『男橋』・『女橋』は実在したのか?
結論としては、分かりません。と言う話で落ち着きました。
ただ、それっぽいの石碑はあるのは、改めて自分の目で確認出来ましたね。
田村宗順先生の、伝説と夜話を見返してみたのですた、身を投げる。と言う表現をされているので、普通に考えると橋から飛び降りたのでしょう。飛び降りる。と言う表現をする程の高さでもなかったと思いますけど。
上沼公園の橋については、大正4年に建て替えた。と言う記録があり、その前は木の橋だった。と言う事ですが、その木の橋がいつからあったのか?戦国末期にもあったのか?取りあえず江戸時代の地図で見ても、橋らしき物は記載をされていないので、そもそも橋の名前以前の話、橋自体が伝説の話の時にあったのか?それすら分からない状態です。
後は、小林一茶の『小林一茶 草津道の記』を読んでみたいのですが、現在、そもそも『小林一茶 草津道の記』が本でどれに収録をされているのか、不明の状態になります。誰か分かる人がいたら、教えてちょ。小林一茶全集にある可能性が高いのですが、8巻ぐらいあるんだぜ。
上記サイトで小林一茶の道のりが紹介をされていますし、伝説と夜話でも、田村宗順先生が読んでいるのが伝わるのですが、どこで読んだのでしょうかね?
草津道の記の件
まじきちな吾輩。小林一茶記念館に直接『草津道の記』って、どこに収録をされているの?と聞いてしまい、結果、記念館の学芸員より完璧な回答を得る事に成功。やったぜ!後で図書館で借りてくらー!
と言う事で、図書を検索して、予約してやる!と思っていたのですが、該当のは、小林一茶全集の五巻になるのですが、バッチリと抜けていました。だか、しかし、吾輩レベルになりますと、熊谷図書館の会員にもなっていますので、無事に熊谷図書館の蔵書にはありましたので、近日中に借りてきて、一度読んでみようと思います。
備忘録
たまたま、病院がいつもよりもすいていて、いちいち書かなかったのですが、ホビーショップのるーくに寄って、前からいつか欲しいな。と思っていたドラゴンボールのブルマのバイクのプラモデルを購入して、店長と少し話をして、ガンプラのビームサーベル用のマーカーを購入。
ちょっと別の用事で入ったお店で、並ぶ場所を間違えてしまいました。でも並ぼうとしているのは伝わっていたみたいで、後から来て並んだ人に先にどうぞ。と言われたりしたのですが、いやいや、並ぶ場所を間違えたのは自分ですから、先どうぞ!と固辞をしたり、八雲神社でウロウロとしてから、上沼に到着。
眼鏡橋で写真撮影をし始めたら、その時にジャストタイミングで通過をしてきた謎の自転車のじっちゃん。あれ、今思うと上沼にいる妖精だったんじゃないの?二分、三分?それ位に時間がずれていただけでも、吾輩はその場に居なかったと思います。
凄く、はっきりと見えて、かつ普通のじっちゃんの姿をしているから、皆が気がついていないだけで、大きな公園にいる謎の自転車に乗っているじっちゃん。あれ、実は公園の妖精だぜ。と言う、新説を唱えていきたいと思います。ありがとう!妖精のじっちゃん!
伝説を調べて、チマチマと動いてみて思ったのは、伝説作ろうぜ。と言う事ですかね。
上沼でウロチョロしながら、困ったな。と思っていたら、じっちゃんがそっと助言をくれた。お礼を言って、ふと振り返ると、もうそのじっちゃんは居なくなっていた。
あれは、なんだったんだべ?と話をしていると、それは上沼に住んでいる妖精にちげーね。と言う話が広まり、以来、上沼にはじっちゃんの姿をした妖精がいる。と言う話を流布していこう。30年ぐらいしたら、さも本当に昔からあった話みたいに語り継がれる可能性。ちょびっとだけあると思っています。