吉見町の庚申塔は力作

吉見町の庚申塔は力作

吉見町の庚申塔は力作

しかと受け取った

吉見町郷土史研究会の増田様を始め、会員様の鋭意調査には心からの経緯を表したい訳ですが、その前に一言。何故に、これほどの貴重なものを、カラーにしなかったのか?と吾輩は悔しい訳です。

このページだけを見ている人には分からないと思いますので、一応軽く書いておきますと、吉見町の隣の東松山に住んでいる中年のおっさんになるのが吾輩ですが、一度、こうした庚申塔を全部見て回って、全部をまとめてみたいな。と考えていたのですが、本書で全て収録をされていましたので、終了となりました。

しかも本書で知りましたが、馬頭観音バージョンもある。と言う事で、速攻で図書館で予約を入れてみたのですが、借りている人がいました。いるもんですね。こんなマニアックだけれども、地域の保守本流にとっては極めて大事な書籍を借りる人がいるとは、やりよる。と思った訳です。

庚申塔ってそもそもなんや?

見た事がない。と言う人は、いないでしょう。道にひっそりとある、あれです。なんか良く分からないけれども、田舎になればなるほど、良くあるよね。と言うあれです。各自勝手に画像検索でも何でもして下さい。

役割としては地域の安全の祈願であったり、道しるべとして活用をされていた訳です。

それ位に事は知識としてあったのですが、元々は道教だったんですね。知りませんでした。そして、何種類かあるのですが、仏教で言えば、阿修羅像みたいなのですが、これは道教で青面金剛像と言う名前がありました。そして、元々は流れ的にはヒンズー教のシヴァ神だったのだろう?と言われているみたいです。

もう道教も仏教も、元々はヒンズー教だったんだろうなー。とボンヤリと考えています。妻沼の聖天様の秘仏も完全のパオーンでしたもんね。パオーンの記事は以下になります。

妻沼聖天山の秘仏(御正体錫杖頭)を見てきました(絵で秘仏を再現してみた)

吉見町郷土史研究会の情報求めています

誰か?こちらの吉見町郷土史研究会の方と繋がる方いませんか?これ、書籍化と言う関係上、フルカラーが困難だったのだろう?と推測をしています。

しかし、情報としてはマニアックになりますが、必ず後世に引き継がせた方が良いであろうレベルになりますので、Web上でアップをしておいて保存をしておきたい。と考えています。恐らくはそれなりに高齢者になるのだろう?と推測を勝手にしておりますので、パソコンのネット関連は分からない。と言う形になるのだろう?と思いますが、データーを頂ければ、アップをしておきたいと思います。

吉見町の税金が投入をされている。とかになりますと、こうした情報も吉見町の物となりますので、ちょっと厄介になってきてしまい、厄介な事は大嫌いなので、遠慮したい気持ちになるのですが、そうではなく、吉見町郷土史研究会の方が自費で活動をされているのであれば、アップしたいですね。

どこを見ても、値段もついていませんので、非売品になるかと思います。近隣の江南とか、それこそ東松山でも同じようにデーターを頂ければ、喜んでアップをさせて頂きます。

正直、世の中、当然このサイトが一番のゴミカスになる訳ですが、どうでも良いしょっぱい記事ばかりになりまして、硬派で武骨で重要な記事。と言うのはネット上には中々ないんですよね。でも、吉見町郷土史研究会とか、世の中には、地域に根ざした研究会の方々の大切な知識が書籍と言う形にしか集まらない。そして書籍の代表である図書館には、昔ほど人も集まらない。と言う状況になりますので、その辺りをちょっと変えていきながら、世の中の大切な物を残していく手伝いが、微力ながら出来たら。と思っています。

と言う事で、誰か!吉見町郷土史研究会の方に伝えて下さい。

なお、本書は図書館で借りる事が出来ます。現在、このページをアップした時点では吾輩が借りているので、ちょっと待ちたまえ。

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ちょっと高い飲食店のおばちゃんに、「あたなは大器晩成。50過ぎてから成功する!」と言われました。だから、今は凄く頑張ってもロックが掛かっていて、そのせいで、突き抜けられない。と自分に言い聞かせています。写真はジャワ原人ですが、目が二つで、耳があって口があるので、大体こんな感じです。笑うとオダギリジョーに少し似ていると言われました。イケメン説が浮上しています。